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7’s GOLF的日本の名門コース史~霞が関カンツリー倶楽部篇~

様々なゴルフ場がある日本。中には歴史と伝統に彩られた名門コースと呼ばれるものも存在し、「一度は回ってみたい!」と思うゴルファーも多いことでしょう。そこで今回は日本のゴルフブームを生んだ名門コース、霞が関カンツリー倶楽部の歴史について紐解いていきます。

アリソンの改造で難コースに変貌!?

残念ながら開催延期となった2020年の東京五輪。大会中のゴルフの開催地となっていたのがこの霞が関カンツリー倶楽部。都心からも近い日本屈指の名門ゴルフコースとして知られています。

・開場日 1929年10月6日

・設計者 (東コース)藤田欣哉、赤星四郎、チャールズ・ヒュー・アリソン、トム・ファジオ、ローガン・ファジオ(西コース)井上誠一

・面積 1,320,000㎡(両コース合計)

・ヤーデージ (東コース)7,466/7,362ヤード(西コース)7,117ヤード

・ホール/パー (東コース)18ホール/パー71(西コース)18ホール/パー73

・休場日 年中無休

・所在地 埼玉県川越市

日本が誇る超名門コース誕生のキッカケとなったのは地元のゴルフ好きの篤志家たち。中でも黒須銀行の創業者である発智庄平の想いはすさまじいものがあり、ゴルフ場を作るために自身が所有していた埼玉県霞が関村(現在の川越市の一部)の土地を提供。こうした熱い思いが実を結び、1929年の春ごろから藤田欣哉、赤星四郎の両名が設計を担当してコースの工事が開始。5月には倶楽部が創立するなどトントン拍子で物事が進み、9月末にはなんと東コースが竣工。そして10月6日に会場を迎えることができました。

開場当時の霞が関カンツリー倶楽部はややイージーなコースだったこともあり、翌30年にはコースの改造を行うことに。この時にコースの再設計、改造を担当したのがチャールズ・ヒュー・アリソン。彼の代名詞とも言うべきアリソン・バンカーを10番ホールなどに設計したことで難易度が一気に上昇。今までだったら問題なかったシンプルなアプローチは太刀打ちすることができなくなるなど、ゴルファーにとってやりがいのあるコースに。これにより開業の会員数も一気に上昇。開場当初は300人程度しかいなかった会員が1934年には一気に1000人越えを果たします。

ちなみにアリソンが東コースの改造をした2年後の1932年には会員たちの要望により、もう1つのコースである西コースが井上誠一の設計により完成。これで霞が関カンツリー倶楽部は日本初となる36ホールズを備えたゴルフコースとなりました。西コースは東コースほどの難易度はないものの、優美なコースの景観とは裏腹に池やクリークを生かした罠も多く、こちらのコースにも根強いファンがいます。

日本のゴルフブームの火付け役、カナダカップ開催!

開場直後から人気を集めた霞が関カンツリー倶楽部ですが、次第に戦時色が強くなる中で1938年にはゴルフ税が導入され、戦争が始まった1940年にはJGAから自粛要請が行われるなどのびのびとゴルフをすることができなくなっていきました。やがて戦争がはじまると、キャディー制度が廃止され、1945年にはとうとう業務停止に。終戦後はアメリカ軍によって接収されてしまいます。

終戦から8年後の1952年になってようやく返還されましたが、戦時中の開墾などが原因でアリソンや井上誠一らが設計した美しいコースはもはや見る影もないほどに荒れ果ててしまいました。間もなく復旧に向けた作業が行われ、半年をかけて東コースが復旧。そして井上誠一が再度監修した西コースはその2年後に復旧し、日本初の36ホールズは元に戻りました。

霞が関カンツリー倶楽部の存在が世界中に知れ渡ったのは1957年。日本でカナダカップが初めて開催されたことに起因します。30ヵ国、60名のプロゴルファーたちが参戦した日本初のゴルフの国際大会は大きな話題を呼び、参加した選手にはサム・スニードやゲーリー・プレーヤー、ピーター・トムソンなどの一流ゴルファーも。いくら自国開催だからと言って、さすがに日本勢の活躍は望めないというのがほとんどの人たちの見解でした。

ところが、この大会で日本勢は奮起。個人では中村寅吉が2日目に逆転して首位に立つとそのまま逃げ切って優勝。そして団体でも中村寅吉と小野光一組が優勝。この大会は史上初のテレビ中継が行われましたが、中村たちの活躍を一目見たいという人たちでごった返して、最終日にはなんと2万人近いギャラリーが集まりました。

この大会以降、日本にゴルフブームが到来。庶民にはまだまだ敷居の高いスポーツではありましたが、日本各地にゴルフ場や練習場が作られたことでゴルフの競技人口は一気に増加。他のスポーツとは違って激しい動きや走り回ることがあまりないため、パパたちのレジャーとして一気に広がっていきました。

そして霞が関カンツリー倶楽部はこの大会以降、日本のゴルフ場の代表格の地位を不動のものに。日本オープンゴルフ選手権も過去に4度開催するなど、国内の主要タイトルの舞台としても知られるようになりました。

また、都心からも近いゴルフ場ということもあり、ゴルフ外交の舞台となることでもおなじみ。最近では2017年にアメリカのトランプ大統領が訪日した際には安倍晋三総理大臣とともにゴルフを楽しんだことでも知られています。

霞が関カンツリー倶楽部のまとめ

いかがでしたか? 日本のゴルフブーム生みの親とも言える霞が関カンツリー倶楽部には様々な歴史があり、現在に至っています。人気が高いために予約が取りづらいコースではありますが、都心からもほど近くアクセス抜群。名門コースならではのおもてなしが評判とアンっています。ちなみに2016年には東コースが改修され凧とでも話題になっています。機会があればぜひ一度訪れてみてください。