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7’s GOLF的ゴルファー偉人伝~ジャック・ニクラス篇~

全英オープンが開始されて以来、ゴルフ界には様々なゴルファーが誕生してきましたが、その中でも素晴らしい成績を残してきたゴルファーを特集。今回は“帝王”の名でも知られる史上最高のゴルファー、ジャック・ニクラスについて調べてみました。

抜群の運動神経を武器にアマチュア時代から大活躍

史上最高のゴルファーと称されたジャック・ニクラスは1940年1月21日。薬局を営む一家に生まれました。父のチャールズは若いころはフットボールで鳴らしたスポーツマンで、ジャックを含む4人の子供たちを育てるころにはハンデなしでプレーするスクラッチゴルファーとしてゴルフに熱中していました。

そうした優れた運動神経をジャックは受け継ぎ、10歳で初めてゴルフをプレー。いきなりハーフで51をマークするという抜群のセンスを見せたジャックを見た父は並々ならぬ素質を感じ、間もなくレッスンプロのジャック・クラウドの指導を受けさせました。これでジャックのスキルは見る見るうちに向上し、18ホールを回ったスコアは1年で100を切るどころか70台で回るように。

ジャックはゴルフだけでなく、陸上競技や野球でも活躍していたようにスポーツでは彼の右に出る者はいないというくらいのスポーツ少年に成長。高校時代にはゴルフだけでなくバスケットボールの選手として活躍して、大学からスカウトも多数やってきたと言います。

そんなジャックでしたがオハイオ州立大学に進学すると、21歳になった1961年に全米アマチュア選手権を制して翌62年にプロ選手としてデビュー。デビュー年にいきなり全米オープンを制して自身初となるゴルフ4大メジャー大会を初制覇。ここから“帝王”と呼ばれるジャックの伝説が始まりました。

ちなみに大学在学中の1960年にはジャックをプレー、私生活で支え続けた妻、バーバラと結婚。バーバラは2015年にはゴルフの発展に多大な寄与をした人物に送られるボブ・ジョーンズ賞を受賞。選手が取ることが多かったこの賞を夫人が受賞したことで大きな話題になりました。

意外にもヒール役だったデビュー当時のジャック

プロ入りしていきなり全米オープンを制したジャック・ニクラス。アマチュア時代からの実績通りの成績を収めて鮮烈なデビューを飾ると、翌63年にはマスターズ、PGA選手権を優勝。さらにデビュー3年目にはPGAツアー賞金王に輝くなど、年々その存在感を高めていきます。

デビューしていきなりこれだけの好成績を収めたジャック。当時の世界は第二次世界大戦が終戦して10年以上が経過し、テレビが普及し始めた時代。それに合わせてゴルフは世界中に広まり人気を博していました。そんな時代に合わせるかのように登場したスターなだけにさぞかし人気になったことだろうと思いますが…実は当時のジャックは人気がないどころか、ヒール役として認識されていきました。

ゴルフの歴史を紐解けば、ヒール役になるゴルファーはいつの時代にも存在しましたが、ジャックのように素行面で問題のないゴルファーが敵役となるのは極めて稀なケース。にもかかわらずジャックがヒールとして見られる理由となったのは同じドイツ系アメリカ人のゴルファーでライバルであるアーノルド・パーマーの存在と当時のジャックの風貌でした。

後に「ゴールデン・ベア」というニックネームで呼ばれるようになるジャックですが、デビュー初期は髪を短く刈り、ややぽっちゃりとした体型から「ホワイト・ベア」という通称で呼ばれるように。ずんぐりむっくりとしたジャックと比べ、スラっとした体型のパーマーの方が人気を博していました。実際、ジャックがメジャー初優勝を飾った1962年の全米オープンでは優勝したジャックへの祝福よりもパーマーの優勝が阻止されたことを残念がる声が目立ったほどです。

しかし、そうした雑音を封じるかのようにジャックは飛躍します。1966年には全英オープンを優勝して、男子ゴルフでは史上4人目となるキャリア・グランドスラムを弱冠26歳にして達成。この後もメジャー大会での勝利を積み重ね、1971年にはなんと各メジャー大会を2回ずつ制して史上初となるダブル・グランドスラムを達成しました。

ジャックがコンスタントにメジャー大会で勝ち続けるため、キャリア・グランドスラムは簡単に達成できるに見えますが、実はジャックの次にキャリア・グランドスラムを達成したのは2000年のタイガー・ウッズ。実に34年間も現れなかったことを考えると、いかにジャックが飛び抜けたゴルファーであることがわかるでしょう。

青木功との死闘、日産のCM出演で日本のゴルフファンにも人気に

デビューから10年以上が経過し、全盛期を迎えたジャック・ニクラス。かつては敵役となっていたジャックですが、この頃になると体型もスリムになり、派手なウェアを着るように。同時に短く刈っていた髪の毛も伸ばしたことで、「ホワイト・ベア」の愛称もいつしか「ゴールデン・ベア」に変わり、一気にスターゴルファーとしての地位を確立します。

70年代に入ってからのジャックはまさに帝王の名にふさわしいほどの活躍を見せました。マスターズを72年、75年に制したのをはじめ、全米オープンは72年に3勝目をマーク。最も得意としていたPGA選手権は71年に勝った後も73年、75年とさらに2勝を上乗せ。さらに78年に全英オープンを優勝したことで史上初となるトリプル・グランドスラムを達成しました。

すでに世界最高のゴルファーとして知られるようになったジャックですが、日本のゴルフファンの間にその名が浸透したのは40歳になった1980年の全米オープンでしょう。ここでジャックと同組で回ったのは日本の青木功。すでに海外でも実績を残し始めていた青木はジャック相手にひるまず、持ち前の粘りのゴルフを見せあわや優勝も期待されましたが、ジャックは青木と最後まで競り合い、わずか2打差ながら勝利して意地を見せました。

この死闘を機に帝王・ジャックの名は日本でも知られ、そんなジャックに最後まで詰め寄った青木はその実力を世界に示すという形に。青木の全米オープン2位は未だに日本男子ゴルフ界では最高の成績となっています。

ちなみに全米オープンと前後しますが、ジャックは前年の79年の6月から日産のフラッグシップモデルであるグロリアのCMキャラクターを8年務め、青木との死闘を繰り広げた80年には戸塚カントリー倶楽部で行われたチャリティーゴルフに参加するなど日本でジャックの姿を見ることが増えていきました。

その後のジャックは86年にマスターズを通算6度目の制覇。46歳2ヵ月での優勝は史上最年長記録になっただけでなく、キャディに長男のジャック・ジュニアを従えて戦ったことも話題になりました。これ以降はメジャー大会の優勝こそ遠ざかりましたが、まだまだ元気いっぱいで10年後にはシニアツアー(現チャンピオンツアー)の4大タイトルをすべて制して、PGAと2つの大会で4大タイトルを獲得した唯一の選手に。

そしてジャックが65歳になった2005年、「最も価値がある」と考えるセントアンドリュースで開催された全英オープンでついにそのキャリアにピリオドを打ちました。

80歳になっても帝王の存在は今もなお不変

いかがでしたか? ゴルフ好きなら誰もが知っている“帝王”ジャック・ニクラスのキャリアを振り返ってみました。ゴルファーとしての実績はもちろん、コース設計の面でも多大な功績を残したことでも知られ、誰もが楽しめるゴルフをテーマにプレーしたファン想いの選手としても知られています。

2020年で80歳になったジャックですが、ゴルフの発展に貢献したこと、そしてそのプレーは永遠に語り継がれていくことでしょう。

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