3分で丸わかり! ゴルフ4大大会の魅力と歴史~全米オープン篇~
プロゴルファーたちが目標に掲げるのが「4大大会制覇」。日本人選手はもちろん、世界中のプロゴルファーたちが集まり、しのぎを削り合う姿は多くのファンを魅了します。その中でも「最強のゴルファーを決める大会」とされているのが全米オープン。アメリカのゴルフ界では最高峰の大会の歴史と見どころを紹介します。
毎年6月に開催されることで知られる全米オープン。その歴史は全英オープンに続くもので、第1回大会は1895年に開催されました。ちなみに全米女子オープンは第二次世界大戦後の1946年から開催され、現存する最古の女子メジャー大会としても知られています。
1895年に行われた第1回大会は現在のように6月ではなく10月に開催され、参加者もわずか11名と毎年150人以上の選手がエントリーする現在からは想像もつかないほど小さな大会でした。
というのも、当時のアメリカではゴルフはさほどメジャーなスポーツではなく、イギリスからの移民たちがわずかにプレーしている程度でした。1890年代になるとアメリカでもブームが起こり、全英オープンをモチーフにしたこの大会が誕生しましたが、地元アメリカ勢の選手はゴルフの本場であるイギリスの選手たちと対戦した際の成績は芳しくなく、第1回大会の優勝者のホーレス・ローリンズや第3回大会のチャンピオン、ジョー・ロイドなど、初期の優勝者はすべてイギリス(イングランド)かスコットランド出身の選手ばかり。いかにアメリカ人ゴルファーが苦戦を強いられていたかがわかります。
アメリカ人ゴルファーが全米オープンで優勝したのは第1回大会から16年後となる1911年。ジョン・マクダーモットが激戦を制し、翌1912年も連覇を飾ると、アメリカ国内でのゴルフブームがピークに達し、第一次世界大戦で中止になる前年の1916年まで6年連続でアメリカ人ゴルファーが優勝を飾るなど形勢が逆転し、1919年以降の97回の大会中、アメリカ人ゴルファーが優勝したのは79回と圧倒的な好成績を収めるようになりました。
そんな全米オープンの歴代優勝者の中で最も有名なのが、歴代最多タイとなる4度の優勝を誇るボビー・ジョーンズでしょう。自制心溢れるプレースタイルから「球聖」の異名をとったジョーンズはアマチュアゴルファーとしてキャリアを貫いたことでも知られ、中でも1925年には初日の11番ホールで同伴プレイヤーが「誰も見ていなかった」という中でも自ら「アドレスの際にボールが動いた」と申告して、自ら1打罰を課しました。
この1罰打が響き、結果的にこの年のジョーンズはウィリー・マクファーレンにプレイオフの末に1打差で敗れましたが、ジョーンズの見せたフェアプレー精神は今なお語り継がれています。
全米オープンの最大の特徴となっているのが、他に類を見ないほど難易度が高く設定されたコース。大会が開催される5年も前から開催コースが決められ、それに合わせてコースもセッティングされていきますが…とにかくフェアウェイが狭く、そしてラフが深すぎるほど深いというのがお約束です。
こうした厳しいコース設定のため、他の大会のようにバーディーやイーグルが連発することがなく、コツコツとパーを積み重ね、1打のミスすら許されないという正確なショットが要求されます。
そのため優勝スコアがオーバーパーとなるケースも多く、ブルックス・ケプカが2018年に2度目の制覇を決めた際のスコアは281(+1)というおおよそ優勝スコアとは思えないものでした。時に参加選手たちから「コース設定が厳しすぎる」とクレームが出ることもありますが、メンタルの強さが試される大会としてファンからは根強い人気を誇ります。だからこそ、勝ち抜いた選手は「最強ゴルファー」と称えられます。
ちなみに第119回目となった2019年の全米オープンを制したのは地元アメリカのゲーリー・ウッドランド。前年まで2連覇を果たしたケプカの猛追を凌いでメジャー大会初制覇を飾った際、「終わって良かった」というコメントを残したことからも、いかにこの大会の難易度が高いことを裏付けていると言えるでしょう。
名だたるゴルファーたちが精魂尽き果てるほどにしのぎを削り合う全米オープン。記念すべき120回目の開催となる2020年、歴史あるトロフィーに名前を刻まれるゴルファーは果たして誰なのでしょうか?