7’s GOLF的日本の名門コース史~川奈ホテルゴルフコース篇~
様々なゴルフ場がある日本。中には歴史と伝統に彩られた名門コースと呼ばれるものも存在し、「一度は回ってみたい!」と思うゴルファーも多いことでしょう。そこで今回は日本屈指のロケーションを誇るとともに難コースとしても知られる川奈ホテルゴルフコース(富士コース)の歴史について紐解いていきます。
牧場予定地を急遽ゴルフコースに変更!
日本が誇る絶景コースである川奈ホテルゴルフコース(富士コース)。そのコース情報は以下の通りになります。
・開場日 1936年12月1日
・設計者 チャールズ・ヒュー・アリソン
・面積 690,000㎡
・ヤーデージ 6,242ヤード
・ホール/パー 18ホール/パー72
・休場日 年中無休
・所在地 静岡県伊東市
その名の通り、川奈ホテルに付随する形で作られたゴルフコースですが、実はホテルが完成したのはもうひとつのゴルフコースである大島コース(1928年に開場)ができた後。このホテルがオープンしたのとほぼ同時期に、富士コースも開場しました。
ちなみに富士コースが作られた敷地は当初、牧場を建設する予定だったそうですが、風光明媚な土地でゴルフコースにするのに最適であることが判明するとホテルの経営者である大倉喜八郎は即座に方針を転換。セント・アンドリュースの1つであるイーデン・コースを設計するなど天才設計士名をほしいままにしていたチャールズ・ヒュー・アリソンにコースのデザインを依頼します。
コースと自然との調和をモットーとするアリソンからしたら、この絶好のロケーションを誇る土地はさぞかし腕が鳴ったことでしょう。コースの設計を依頼された直後、アリソンは川奈ホテルの一室にこもってひたすらに18ホールすべての図面を引いて行きました。
アリソンの日本での在住期間はたったの3ヶ月半でしたが、この川奈ホテルゴルフコース(富士コース)の設計だけでなく、東京ゴルフ倶楽部の朝霞コース、廣野ゴルフ倶楽部などの日本の主要コースのほとんどをこの間に設計。天才設計師たるゆえんがここにあると言えるでしょう。
日本最難関のホール!?「アーメン・コーナー」とは?
天才設計士のアリソンですら「景色が美しすぎて、正しき設計を誤る恐れがある」と言わしめるほどの絶景を誇る川奈ホテルゴルフコースは1936年に開場。多くのゴルファーが心を奪われる要因となったのはアリソンが自信をもって設計した第1ホールにありました。
アリソンのポリシーともいうべき「自然との調和」を体現するべく、海を眺めながら打ち下ろす形を取ったこのホールは海沿いのコースならではの壮観な佇まいを誇りました。そして多くのゴルファーたちが口をそろえて「難しい!」と頭を抱えたのが、終盤の16番~18番の3ホールです。
例えば16番ホールは左側がすべてOBとなるために正確なコントロールが要求され、17番ホールはグリーンが山の頂上にあるかのような急斜面の場所にあるため、ラフに入ってしまえばすぐに崖から転がり落ちてしまいます。そして18番ホールも打ち上げる感じの造りになったホールなのでかなりのテクニックが要求されます。
ちなみにこの3ホールは神様に祈らないとうまくクリアできないという理由から通称「アーメン・コーナー」という愛称が付けられています。中でも17番ホールのグリーンは「砲台グリーン」と呼ばれ、川奈ホテルゴルフコースの名物ともなっています。
開場当初から難コースと抜群のロケーションを誇った川奈ホテルゴルフコースですが、川奈ホテル自体がVIP御用達ホテルだったため、このコースの難しさを知るのはいわゆる上流階級のゴルファーたち。世界のゴルファーや一般のゴルファーにその存在が知れ渡ったのは戦後に入ってからのこと。1962年に世界アマチュアゴルフ選手権が開催されたことで大きな注目を集めました。
その後、1981年からは男子ゴルフの主要大会のひとつであるフジサンケイクラシックの舞台として使われることに。ここで抜群の強さを見せたのが通算6度の優勝歴を誇るジャンボ尾崎。中でも1987年の16番ホール、17番ホールでの連続チップインはジャンボ伝説には欠かせない名シーンとなっています。
このほかにも川奈ホテルゴルフコースと言えば逆転が起きやすいコースとして知られ、2015年のフジサンケイレディスクラシックでは藤田光里が最終ホールでチップインを決めて逆転でツアー初勝利を飾るという名場面を生み出しています。
川奈ホテルゴルフコースのまとめ
いかがでしたか? 日本屈指の絶景を誇るの川奈ホテルゴルフコースには様々な歴史があり、現在に至っています。人気が高いために予約が取りづらいコースではありますが、宿泊客ならば誰もがラウンド可能となるなど意外にもコスパがいいコースなので、機会があればぜひ一度訪れてみてください。